生まれた種
久しぶりの投稿です。今、起きていることと感じていることについて書きました。
2020年。
世界は、新型コロナウイルスにより生活様式の変更を余儀なくされ、日本では外出自粛にテレワーク、、そんな生活が2ヶ月程続いています。
少しずつ元の生活に戻っているとはいえ、コロナウイルス収束後の世界はコロナウイルスが流行る前の生活には戻らない、あるいは戻れないと感じています。
なぜそう感じたのか。
コロナウイルスの流行により感じたことが私の中で心境に変化を起こし、
日々思っていたことをよりハッキリ感じさせるキッカケになったからです。
まず、コロナウイルスは、あまりにも多くの犠牲を生みました。
今日現在の感染者数は約620万人、死者数は約37万です。
日本での新型コロナウイルス関連倒産は、約200件。
外出・営業自粛、医療崩壊、政府の対応の遅さ、外国人労働者、外国人技能自習生の雇い止め、経営状況悪化による自殺など。
上げればキリが無いけれど、これがコロナウイルスが流行って起きたことです。
本当に困っている人の声が中央に届いていないということも明るみになったと感じています。
それから、志村けんさんの死。
本当に驚き、今でも正直信じられないし、まだ生きているような気さえしています。
青森市では昔から市民に親しまれていた老舗のおやき店や飲食店、ホテルが倒産しました。
多くの命が失われ、街から活気が失われていく。
これだけではない、まだまだ私の目に見えないことがたくさん起きているんだなと感じています。
悲しい、寂しい、私には何もできない、どうすれば、、どうして、そんな気持ちが溢れました。
しかし、良いことも起こっています。
ロックダウン中、経済活動や物流がストップしたことによる世界の大気汚染レベルの減少。
手洗いうがいを徹底した結果、インフルエンザ患者の減少。
このことは、環境問題や衛生意識に目を向けるキッカケになったのではないでしょうか。
このようなことを経験して、何事もなかったかのように元の生活に戻れるでしょうか。
私の答えは、NO。
コロナウイルスが流行ったことによって起きたこと、それによって学んだことを無駄にしてはいけないと思います。
私は、もっと自分の気持ちに正直になっていいと感じたし、みんなもそうするべきだと思います。
もちろん、誹謗・中傷を発信することや、人を攻撃することはダメ。
この期間中、興味があることを少しづつ調べていたら、自分がいま関心を持っていることがが少し見えてきて、
かつて好きだったけど今は疎遠になっていたことが、今でもやっぱり好きだということに気付いた。ファッションや音楽、英語など。
それから、穏やかに過ごすこと、自然を感じること。
生きていく上でお金を稼ぐことは必要なことだけど、そのことに必死になって自分の気持ちを無視し、好きなことを蔑ろにすることはもうやめたい。
コロナウイルスによって、内側に生まれたこと、その種を無駄にせず育てていきたい。
いま私が感じているのは、そんなことです。
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